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虚無主義JMという存在

みなさんこんばんは。 初代総長ジョージ・リークツ監督です。

今回は会員それぞれの価値観についてお話ししたいと思います。

 
派閥にはなっていませんが、少数派の秘密結社ジヘーメーソン団には“虚無主義JM”というユニークな仲間がいます。

 
いわゆる“ニヒリズム”の立場をとっているニヒルなJM会員です。

普遍的な真理や絶対的な価値、超越的他者といったものの存在を否認し、いつでも何に対しても懐疑的であり、この世のすべてが空虚であり、善も悪も無く、人生は虚しく、すべてが虚構であり、あらゆるものが本当は存在していないのだと認知している変人たち(笑)です。

達観、無の境地といってもいいでしょう。

 
このような人達は、多種多様な価値観を持つJMメンバーの中でも、さらに少数派なのではないでしょうか。

彼らと他のJMメンバーとの間で、もっと議論を深める必要があると
感じ、このトピックを提起しました。

 
虚無か否かについて、初代総長の私の見解としては、おそらく虚無ではなく、“虚無の一歩手前”が真実なのだろうと思います。

「少し価値がある」。 それなのに多数派は、物凄く価値があるかのように勘違いし、あまつさえその“常識”を説明や議論も無しに私たちに押し付けるのです。

 
   “ジヘーメーソンの少数派”、虚無主義JMのみなさん。
   わがジヘーメーソン団に、そして森羅万象に、本当に
   何らの価値も無いと思いますか?

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コメント

自己紹介も兼ねまして……

はじめまして。おまきんという者です。

ニヒリストさんのブログや,自閉世界でウヨウヨしてるので,知ってる方もいるかもしれません。

「対人恐怖症」「スキゾイド」と診断された精神障害者です。


さて,虚無主義JMについてですが,
きっと,ニヒリストさんや僕のことを言ってるんでしょうね。

世間一般の“虚無主義”については皆さんイメージしてると思いますが,個々人のスタンスについては考えが及んでいるかが甚だ疑問なので,僕なりの“虚無”のスタンスを語りたいと思います。

興味のある方は見てって下さい。
なければ無視して下さい。


僕にとっての“虚無”とは“心の穴”です。
この“心の穴”には一切の価値観や真理は存在しません。いわゆる“無”です。

大抵の人は,“心の穴”を何らかの思想や価値観などで塞いでます。
ある意味それゆえに人は希望をもてるのかも知れません。

でも,ある種の人にとっては,どんな思想や価値観でも“心の穴”を塞げないのです。
なぜかはわかりません。生まれつきとしか答えようがありません。

この“心の穴”は,耐性がない者には,へたすれば人を“絶望”に陥れ,最悪“自暴自棄”や“自殺”に追い込むこともあります。

ただ,心に穴が空いてることに慣れてくると,あまり“絶望”や“死”に囚われることなく,むしろ全ては“好き嫌い”として楽しむことができるようになります。
これが,僕の場合の虚無主義者が趣味を楽しめるようになる過程です。


さて,総長が「“虚無の一歩手前”が真実」と言ってましたが,これはある意味合ってると思います。

上記のように,いかに“心の穴”に慣れようと,“絶望”や“死”が完全に無くなるわけではありません。
それらに囚われないよう,さらに対策が必要です。

つまり“心の穴”を塞ぐのです。
しかし,そこは虚無主義者。
大抵の思想や価値観では効き目がありません。

僕も30年間,“心の穴”を塞ぐのに,いろんな価値観を試してきましたが,どれもしっくりきませんでした。

で,最終的にどうしたかというと,
“自分自身”を間に合わせで塞ぎました。
一応の応急処置です。

そう考えると,“一歩手前”に“自分自身”という価値が存在するわけです。

ただ,その“自分自身”ですら“心の穴”=“虚無”がある。

よって,
自分はなんの価値観を持たない
→でも自分自身がある
→しかし自分自身にも価値が無い
という,パラドックスに陥る。
“虚無”で“虚無”を満たすという,アホみたいなことになってます。
だから,僕にとっては全てが“虚無”になる。


“好き嫌い”で物事を楽しんではいるが,しかしその実,どんな価値観にも依存できない空虚に苦しむ。でもそれはそれでいいのかも。
なんていう,ジレンマが常に付きまといます。


長くなりましたが,以上が僕なりの“虚無主義”のスタンスです。


それと,

>わがジヘーメーソン団に、そして森羅万象に、本当に何らの価値も無いと思いますか?

ということですが,
もし,
ジヘーメーソン団や森羅万象が,本当の意味で完全に僕の“心の穴”を塞いでくれるのなら,
“虚無”よりの苦悩から完全開放してくれるのなら,
価値はあると思います。

でも,どうでしょうねぇ。
僕は今までどんな集団に属しても,孤独感や疎外感が払拭できなかったですから。

正直なところ,現時点では,価値があるかどうかはまだ分かりません。

投稿: おまきん | 2009年3月11日 (水) 11時47分

おまきんさん、初カキ込みですね(?)。


>でも自分自身がある
>しかし自分自身にも価値が無い

>という,パラドックスに陥る。

でも「ある」(存在している)ということは、そこに何らかの
価値が潜んでいる可能性は否定できないでしょう。

なぜ価値が「無い」と確信した?

「有る」ものは確認できるが、「無い」ことは確認できない。
それが正しい論理というものじゃありませんか?


>当の意味で完全に僕の“心の穴”を塞いでくれるのなら,
>“虚無”よりの苦悩から完全開放してくれるのなら,
>価値はあると思います。

どんなに完璧に理想を体現しても、人間は決して満足できないというジレンマがあると思います。

それでも理想を目指すしか、やること無いんじゃないですか?

「下手の考え休むに似たり」とりょう氏に言われたんですけど、たしかに行動して初めて見えてくるものもあるかと思います。

投稿: 初代総長 | 2009年3月11日 (水) 19時27分

>でも「ある」(存在している)ということは、そこに何らかの価値が潜んでいる可能性は否定できないでしょう。

>なぜ価値が「無い」と確信した?

>「有る」ものは確認できるが、「無い」ことは確認できない。
>それが正しい論理というものじゃありませんか?


僕としても,(せめて自分自身は)価値があると信じたいところなんでしょうが……。

なぜか,「価値が無いんじゃないか?」という疑念が払拭できないんですよ。

残念ながら,この質問に対して理屈で答えることはできません。
なぜ,こういう考え方をするのか,自分でも上手く説明できないんです。

経験的,体感的に“そう考えた”としか……。


例えばですが,
普通,人は自分の姿を鏡で見るときに,「ああ,自分がいる!」と,当たり前のように認識するでしょう。「自分は自分だ」と当然感じるでしょう。

でも,僕は違う。
鏡に映った自分を見ると,「これが自分?」「自分とは何?」「今,鏡を見て考えている自分は確かに存在してるのか?」
などと,自分の存在に対して,次から次へと疑念が湧いて出てくる。

今,存在している自分自身まで“否定”してしまう。
この状態が長引くと,ついには“世界”の存在まで“否定”し始める。


確かに,「有る」ものは「有る」で,「無い」ものは「無い」。
というのが,正しい認識なのでしょう。

自分自身,そう思いたいけど,できない。
「有る」ものは「無い」かもしれない。
という疑念が払拭できず,どんどん大きくなってゆく。

この“虚無感”はなぜか理論や理屈では抑えられないのです。


現時点では,“なぜ?”と,問われても論理で答えることができません。
上記のような感じでしか答えられません。


>それでも理想を目指すしか、やること無いんじゃないですか?

確かに,他にやることなんてないですしねぇ。
ただ,何かを達成した後にやってくる“虚無感”を想像すると,いまいち,のめりこめないというか……。

そりゃ,ただ生きていても,いずれ来る“死”=“無”からは逃れられないでしょうし……。

…うーん……

投稿: おまきん | 2009年3月12日 (木) 11時13分

>絶望してたつもりだったけど絶望していなかったんだな…


あなたが,何をもって“絶望”と定義するのかわかりませんが。

絶望=自殺
ではありません。
まあ,たいていの人は“絶望”の威力ゆえに“自殺”に走るでしょうが・・・・・・。

僕の場合は,“絶望”を経験する前に,“死の本当の恐怖”を知っていたから自殺せずに済んだだけです。
“絶望”は経験したし,今でもつきまとっています。じゃなきゃ,今でも“虚無感”に悩まされてなんかいません。

僕にとっては,“死の本当の恐怖”は絶対的で,どんな価値観でも払拭できない感覚です。
あの感覚に比べれば,どんなものも霞んでしまう。
(たぶん唯一拮抗するのが“絶望”になる。)

“死の恐怖”を知るがゆえに虚無を恐れ,
“絶望”を知るがゆえに虚無に囚われる。

こんな,八方塞がりの状況に陥ったからこそ,
“虚無を受け入れつつ生き延びる”ことしかできないのです。
以前もどこかで言いましたが,こんな自分の生き方はみじめだと思っています。

あなたに,こんなジレンマが解りますか?


>自分の存在を疑う??

>フツーに信じればいいんじゃないのか?

>それこそ好きなように…


前のコメントにも書きましたが,
“心の穴”=“虚無”を塞ぐために,30年間いろんな価値観を信じてきたんです。でもどれもしっくりこなかったと言っています。

それが自分(の価値観=存在)を信じたいけど,信じれないということです。

僕からすれば,自分を信じれる能力を持つ人は,はっきり言って羨ましいです。

投稿: おまきん | 2009年3月12日 (木) 22時40分

>僕にとっては,“死の本当の恐怖”は絶対的で,どんな価値観でも
>払拭できない感覚です。
>あの感覚に比べれば,どんなものも霞んでしまう。


その話、おまきんさんの思い込みではなく“真実”です。

ニヒリストさんあたりは認めないでしょうが、好むと好まざるとに関わらず厳然として存在する“事実”。

「死」は“不吉なもの”であり、マイナスの価値です。

納得できなくても、科学的根拠がなくても、そういう
“普遍の原理”がなぜか存在するのです!

ジヘーメーソンの4大目的の4番目は「すべての謎を解明する」
ですが、これは真理を発見するということです。
 
 
 
>それが自分(の価値観=存在)を信じたいけど,信じれない
>ということです


信じれるか信じれないかは問題ではない。
理論として知っていることが重要だ。

「何が正しいのか?」この一点に集中しましょう!

投稿: 初代総長 | 2009年3月13日 (金) 14時45分

>「死」は“不吉なもの”であり、マイナスの価値です。

>納得できなくても、科学的根拠がなくても、そういう
>“普遍の原理”がなぜか存在するのです!


まあ,確かに僕にとっては“死”がそこまでの地位に格上げされてるのは否めないかと。

ただ,“普遍”かというと疑問はあります。
“普遍”であれば,万人に共通するはず。

しかし,世の中には“前世”やら“生まれ変わり”やら“死後の世界”,“霊魂”なんてのを本気で信じていて,“真理”と言えるほどにまで格上げしている人たちがいるのも事実。

そうした人にとっては,“死”=“有”であり,
僕がどれほど“死”=“無”と言ってもまるで聞かないでしょう。

たとえ,議論してもお互い譲らないでしょうし……。

まあ仮に“死”=“有”が真実だったらどんだけ楽か……。
でも僕は“死”=“無”を実感してしまったしなぁ……。


>「何が正しいのか?」この一点に集中しましょう!


いや,あの,“死”がこの世のいっさいがっさいを“無”に帰してしまうことを実感してしまうと,この世の全て(死の恐怖以外)が“虚無”に感じてしまうんですが。

それに,ようやく“虚無”に慣れたのに,また価値観を探して自分を変えなきゃいけないんでしょうか?

なんつうか,今までずっと,価値観を探しては潰されて,また新しい価値観を探す……
なんてことを繰り返してきて,その行為に疲れたのにまたやらなきゃいけないのですか?


>…で、なんで生きてるかって言ったら、きっと、その穴を埋めるものがあるかもしれないから…なんですかねぇ。私の場合。


“無”を埋める信念やら価値観が未来さんにあるのならそれに越したことはないです。そのほうが幸せです。


>でも、おまきんサンを演じろって言われたら無理かも。…実物見たらできるかな??



他人を理解するには,その人になりきって演じることが必要だということですか?

なら,やめてください。
“死の本当の恐怖”なんて知らないほうがいいんです。

投稿: おまきん | 2009年3月14日 (土) 12時51分

>でも僕は“死”=“無”を実感してしまったしなぁ……。

>“死の本当の恐怖”なんて知らないほうがいいんです。

ちょっとアンタ、一体どんな目に遭ったんだよ(汗
ひょっとして、おまきんサンはこの世の人じゃないのかな?
オデは幽霊と交信してるのか!?(;O;)


>世の中には“前世”やら“生まれ変わり”やら
>“死後の世界”,“霊魂”なんてのを本気で信じ
>ていて,“真理”と言えるほどにまで格上げして
>いる人たちがいるのも事実。

虚無主義JMの代名詞ニヒリストさんも実はスピリチュアル派ですよ。
…そんな理論は間違ってると思うのになぁ。だって幽霊だぜっ!


>そうした人にとっては,“死”=“有”であり,
>僕がどれほど“死”=“無”と言ってもまるで聞かないでしょう。

死=無ではなく、死=負です。

プラスである“生”が、マイナスである“死”によって相殺され、結果
ゼロである“無”に帰するわけです。

死は虚無より怖い。 不吉な「悪」なのです。

この知識はジヘーメーソン奥義の一つです。


>ようやく“虚無”に慣れたのに,また価値観を探して
>自分を変えなきゃいけないんでしょうか?

だって真実は虚無じゃないんだもん。

投稿: 初代総長 | 2009年3月14日 (土) 17時43分

>死=無ではなく、死=負です。

>プラスである“生”が、マイナスである“死”によって相殺され、結果
ゼロである“無”に帰するわけです。

>死は虚無より怖い。 不吉な「悪」なのです。


いやいや,そうなると“死”が最後の希望だと思っている人にとっては,酷でしょう。
僕が言うのも何ですが。

“死の本当の恐怖”を知らないという前提であれば,この世の全てに絶望した人にとっては,自殺は最後の希望となるでしょう。
わざわざ,他人の希望をぶち壊すこともないだろうと。

他人に強制しない以上は。


>だって真実は虚無じゃないんだもん。


それについては,ニヒリストさんと議論したはずでは?もっとも結果,お互い納得してなさそうでしたが?


>すでに演技の範疇を超えてますよね。

>おまきんサンと話せて、得した気分w


得しちゃいけません。
間違っても,
死んだらどうなるか?
なんて絶対想像しちゃいけませんよ!

“死”という最後の希望まで無くしてしまいます!!

投稿: おまきん | 2009年3月14日 (土) 20時58分

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